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熱暴走
 
 
 
 薔薇の館にクーラーはない。
 扇風機はある。
 いや、正確には「扇風機はあった」 過去形なのだ。
 つい二日ほど前まであった扇風機には、煙を噴くという見事な最期と共に天に召された。
 というわけで、暑さを凌ぐ機械類は薔薇の館には一切無い。
 団扇だけが大量にあるのだけれど、人数分以上の団扇があったところでどうしようもない。手は二本。せいぜい頑張っても人数×2を扱うのが関の山。
「暑い…」
「うん…」
「暑いわ……」
「うん」
「暑いのよ……」
「…由乃さん、暑いばっかり」
「祐巳さんこそ、うんしか言ってないじゃない」
 一般的には女子高生の得意技の第一候補と言えばお喋りなのだけど、こんなにも暑いと喋ることさえ億劫に。会話がはずまないことこの上ない。
「うん」
「ほらまた」
「お二人とも、しっかりして下さいよ。薔薇さまがそれでは、後輩達に示しがつきませんよ」
「そんなのいらない〜」
 由乃の答は単純明快。
「第一、後輩と言っても、ここには乃梨子ちゃんしかいないし。今さら乃梨子ちゃんに対して示しをつけるとか言ってもねぇ…」
「そんなこと言わず、示してくださいよ」
「んー。メンドイ」
「即答しますね」
「だってメンドイもーん」
「もお、薔薇の館の実体がこれだと知ったら、下級生が本当に幻滅しそうですよ」
「いいもーん。第一、それを言うなら私じゃなくて祐巳さんじゃない? 瞳子ちゃんや可南子ちゃんに幻滅されたくないでしょ?」
 椅子の上で半分溶けていた祐巳が、由乃の言葉に身を起こす。
「幻滅とか言われても、私はいつも通りの私だよ? 普段通りにしているだけなのに、幻滅とか言われても困る」
 苦笑いの祐巳に、乃梨子が言う。
「いや、まあ、可南子さんも瞳子も今さらそんな姿に幻滅なんてしないと思いますけれど…」
「もっとも、由乃さんは瞳子達二年生よりも、一年生の誰かさんに知られたくないだろうけど」
「う…」
 押し殺したような声を出す由乃。
「なによ、それ、祐巳さん」
「うふふふ。なんでもないよ」
「なによぉ」
「うふふふ」
「もぉ、祐巳さんってば」
「うふふふ〜」
 ガタン、という音に二人は口を閉じる。
「あら、ごめんなさい。椅子の脚が床に引っかかったみたい」
 志摩子が椅子から立ち上がった音だった。 
 二人のだらけ具合をよそに、黙々と仕事を続けている志摩子。乃梨子が二人に対して何か一言言いたくなるのも当然だろう。
「あんまり暑いから、少し涼もうかと思って」
「涼むって、志摩子さん、どうするの?」
 志摩子の座っていた場所には、水出し紅茶が置いてある。だから今さら飲み物に涼を求めるわけではないだろう。
「こうするのよ?」
 靴を脱いで、靴下を脱ぐ志摩子。きちんと並べて靴下は畳んで、自分の座っていた椅子の横に置く。
 そして、どこからか用意してあったたらいに水を注ぐと、足元へと運ぶ。
 そこに足をつけて、志摩子は再び座り直す。
「冷房が無くても、こうしているだけで随分に涼しいのよ」
「なるほど…その手があったか。祐巳さん、私たちもやろう」
「やろうって、たらいがあるの?」
「一階の物置よ。志摩子さんも其処から持ってきたんでしょう?」
「ええ」と頷く志摩子。
「なんでそんなものが」
「昔、文化祭でヨーヨー釣りをやったときのものがあるって令ちゃんに聞いたことがあるの」
 確かにありそうな話だ。
 そして数分後、二人の足元には何故かビニールプールが。
「大きいね、由乃さん」
「そうね、ちょっとばかり大きすぎるような気がするわね」
「何をやっているのかと思ったら…」
 乃梨子の呆れたような笑いに、祐巳は照れ笑いで返す。
「たらいは志摩子さんが先に持って行っちゃったから、これしかなかったの」
「いいわ。大は小を兼ねるって言うじゃない?」
 限度というものがありますよ、由乃さま。そう言おうか言うまいか乃梨子が悩んでいると、
「乃梨子もこっちで一緒に涼みましょう?」
 志摩子が手招く。
 志摩子はいつの間にか自分の隣に椅子を一つ用意していた。そして、自分の足はたらいの片方に寄せている。つまり、残る片方に足を入れなさいと乃梨子に勧めているのだ。
「うん、志摩子さん」
 乃梨子はあっさりと由乃のことを忘れることにした。
 四人が二人ずつに別れて、向かい合うような形でそれぞれ素足を水に浸して座っている。
「さあ、水が冷たい内にキリの良いところまで済ませてしまいましょう?」
 仕事を再開する志摩子。由乃はあからさまに嫌そうな顔。
「…志摩子さんは凄いと思うけど……思うけど……」
 ううううう、と呻きながら再び机に突っ伏せる。その視線が、ビニールプールに落ちた。
「幼稚舎、せめて初等部の低学年だったらなぁ…」
 祐巳は諦めの境地で書類をめくり始めた。
「さ、由乃さん。いつまでも志摩子さんだけにやらせるのも悪いよ」
「このまま行水しちゃうのになぁ…」
 仕事を再開する祐巳。
「今日は水泳の授業がないから水着持ってきてないし」
 だからといって水着姿で薔薇の館をうろうろされるのも何だかなと思う。
「由乃さん、こんなところで水着姿になったらどうなると思う?」
「令ちゃんに怒られる? 別に良いわよ。令ちゃんなんて恐くないもの」
 祐巳は首を振った。
「もっと恐い事が起こるよ?」
「祥子さま? いいわよ、祐巳さんは私の味方だもの」
 何か勝手に決められている。
「もっともっと恐いことだよ?」
「何よ?」
「ここで由乃さんが水着姿になったりしたら…」
「なったりしたら?」
「蔦子さんがどこからか、カメラと一緒に湧いてくるよ。笙子ちゃん付きで」
「ひっ!」
 それは恐い。
「撮影は困るわね」
「そうそう。だから今日のところはおとなしく仕事しようよ」
「はぁ……仕方ないか」
 おとなしく書類を広げ始める由乃。でも一分としない内に…
 チャプチャプ
「由乃さん?」
 チャプチャプ
「由乃さん?」
「なーに? 祐巳さん」
「足でプールの水を掻き回さないで」
「このほうが水が流れて気持ちいいじゃない」
「それはそうだけど、端から水がこぼれているよ」
「あ、そうか。それは気付かなかった」
 数分後…
「祐巳さん祐巳さん」
「なに? 由乃さん」
「蔦子さんは、盗撮はしないわよね?」
「え?」
「本人の了解無しに写真を発表したりしないわよね」
「うん。そうだけど」
「じゃあ、撮られても平気よね」
「水着、ないんじゃなかったっけ?」
「身体を拭くタオルはあるのよ。ご進物で大量に貰って始末に困るって、志摩子さんが沢山持ってきたじゃない」
「それって…まさか」
「私は祐巳さんなら見られても平気。志摩子さんだって……うん、乃梨子ちゃんも」
 さすがに少し悩んだようだけど、乃梨子ちゃんもカテゴリーに入っている。
「目の前にプールがあるのよ? そして、回りには壁。近くにいるのは親友とその妹。見られたって平気な人ばかり! 行水には絶好のチャンスじゃないの。これは神が与えた機会なのよ! さあ、祐巳さんも脱いで」
「落ち着いてよ、由乃さん」
「落ち着いている場合じゃないのわよっ!」
 祐巳に襲いかかる由乃に、乃梨子と志摩子が慌てる。
「ちょ、ちょっと、由乃さま、何やってるんですか!」
「乃梨子ちゃん、貴方は黙って志摩子さんを脱がせなさい!」
「喜んで! …ってそうじゃなくて!!!」
「貴方は志摩子さんの裸体が見たくないの!」
「見たいです! …だからそうじゃなくてっ!!」
「乃梨子ちゃん! 自分に嘘はいけないわ!」
「そんなっ。それじゃあ由乃さまは祐巳さまの裸体が見たいって言うんですか!」
「見たいわよっ!」
 ストレートすぎて誰も何も言えない。
「由乃さん、目的替わってる!」
「世の中なんてね、そんなものなのよっ!」
 くんずほつれつの二人を前に、乃梨子は必死で理性を働かせていた。
「暑さで由乃さまがおかしくなってる……どうしよう、志摩子さん」
「そうね、でも、行水って良い考えかしら」
 するっと、制服を脱ぎ始める志摩子。
「あれ? 志摩子さん?」
「だって、暑いじゃない。ねえ、乃梨子?」
 実は既におかしくなっていた人がここに一人。
 
 
 黄薔薇のつぼみ有馬菜々と、白薔薇のつぼみの実妹二条友梨子は、二人揃って薔薇の館へ向かっていた。
「暑い日が続きますね」
「うん。こんな日は防具つけたくないわ」
「でもつけるんでしょう、菜々さんは」
「今日は薔薇の館優先だから」
「ご苦労様」
「そういう友梨子さんだって」
「私は、お姉ちゃ……白薔薇のつぼみのお手伝いですから」
 階段を上がる二人。
「なんだか、水の音が聞こえるような」
「なんだろう」
「あ」
 ビスケット扉の前で幸せそうに倒れている二年生が一人。
「瞳子さまじゃない?」
「本当だ、瞳子さまだ」
「凄く嬉しそうに倒れているわね。鼻血まで噴いて」
「なにか良いことがあったのかしら?」
 菜々はビスケット扉を見た。
「扉の向こうに?」
「そうみたい」
「なんだろう」
「さあ?」
 手を伸ばす菜々。
 
 真っ赤になってうつむく菜々と、涙を流して爆笑する友梨子。
 二人の視線の先には、仲良く行水する四人の姿があったとか。
 
 
あとがき
 
 
 
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