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サンタと珈琲
 
 
 
 薬局のおじさんが驚いていたけれど、それは別に構わない。
 やっぱり栄養ドリンク十本一気買いは多すぎただろうか。いやいや、例えば漫画家の人はアシスタントと一緒に豪快に飲みまくるという話を聞いたこともある。
 別に一気買いは珍しいことではない、と思う。
 多分。
 そんなことより重要なのは、この差し入れを渡すタイミングだ。
 時期を考えれば山百合会が繁忙期だというのはすぐに判る。三年前の私たち、一昨年の令と祥子、去年の志摩子たちが揃って通った道だ。
 もっとも、私が一年生の時は別に何もしていないのだけれど。
 
「暇そうね」
 加東さんの言葉には微妙に棘がある。
「そういう訳じゃないんだけど…」
「毎日毎日ウチに顔を見せるから何かと思ったら…」
 確かに加東さんの言うとおり、このところ毎日加東さんの下宿に顔を見せているような気がする。
 だってこの時期の大学って、テスト明けの休講だらけで暇なんだもの。
「だからってウチに姿を見せることはないと思うんだけど」
「加東さんの煎れる珈琲が美味しくて」
「…おだてても何も出ないわよ?」
「…いや、おだてているわけじゃなくて、珈琲が美味しいのは事実だから」
「そう言えば珈琲が出る、なんて思ってない?」
「……えー」
「…佐藤さん?」
「加東さん、珈琲飲ませて?」
 手を合わせると、加東さんは溜息をついた。
「最初からそう言う」
「はい」
 既にセット済みのコーヒーメーカーから漂ってくる香ばしい香り。
「あ。ちょうどできたみたいね」
「なんだ。準備してたんじゃない」
「佐藤さんのために煎れたとは言ってないわよ?」
「意地悪」
「その意地悪な人の家を毎日利用しているのは誰ですか?」
「ごめんなさい」
 再び手を合わせて、ようやく珈琲にありついた。
 加東さんの入れた珈琲が美味しいのは本当。それは間違いない。でも、確かにこの家は便利な場所なので、利用させてもらっていることにも間違いはない。両方とも正解だ。
 この数日、ここを拠点にして高等部の様子を見ているのだ。
 狙いは一人。志摩子の妹、二条乃梨子。
 乃梨子ちゃんが一人で、それが駄目ならせめて二年生と一緒にいないところを捕まえないとならない。そうでなければ意味がないのだ。
 勿論、私が構内をうろうろするわけにはいかない。自分で言うのも何だが、元白薔薇さまというのはどうしても目立ってしまう。私のことを知っている志摩子世代が全員卒業して、すっかり代替わりするまでは油断できないのだ。
 私には秘策があった。
 構内どころか、正門に近づくことなく、乃梨子ちゃん達が現れるのを補足する方法が。
 加東さんの家の位置が、その意味ではぴったりなのだ。
 ここからバス停まではほんの少し。そして、バス停のある道は、リリアンへ向かう車両が必ず通ると言ってもいい場所だ。
 この時期であれば、必ず花屋が来るはずだった。花屋に用事があるのは山百合会。
 そして、花屋から荷物を受け取るのは間違いなく一年生の仕事だろう。今の山百合会の一年と言えば、乃梨子ちゃんただ一人。もしかすると、手伝いがいるかも知れないけれど、それもきっと一年生だろう。
 私はここで花屋のトラックが通るのを待っていればいい。三年生を送る会の日取りから考えると、遅くとも今日辺りには届けられるはずなのだ。
 
 ぬかった。
 まさか注文先が別の花屋になっていたとは。
 もう少しで見逃すところだった。
 たまたま、私を見つけた運転手に「リリアン女学園はこっちの方向ですか?」と聞かれなかったら、何も考えずに見送っているところだった。
 トラックの後を追うようにして慌てて駆けつけると、乃梨子ちゃんともう一人が花を受け取っていた。
 あの髪型は……ああ、電動ドリルちゃん。確か松平瞳子。一度顔を合わせたことがあるけれど、まともに話を交わしたことはない。祥子の遠い親戚で、祐巳ちゃんの妹候補だ。祐巳ちゃんと無事うまくいったのだろうか?
「乃梨子ちゃん?」
 乃梨子ちゃんには聞こえてないらしい。
「乃梨子ちゃん!」
 何故か乃梨子ちゃんの足取りが速くなる。おい。
「乃梨子ちゃん!!」
 なんで走り始めるかな。
 瞳子ちゃんが乃梨子ちゃんを止めてくれた。
「どうしたの、乃梨子。さっきから呼ばれてるのに」
「あれは幻聴よ、幻聴。瞳子は知らない? 船乗りを惑わすセイレーンの歌声よ、迂闊に近づくと難破するわよ」
「どうみても普通の女のかたですわ」
「見ちゃ駄目。目を向けたら駄目。目が合ったら襲いかかってくるわよ」
「狂犬じゃないんですから」
「いいから、さぁ、瞳子、帰るわよ」
「乃梨子さん?」
 会話が途切れた辺りで私は追いついていた。
「乃梨子ちゃん、冷たいなぁ」
「チッ……あ、聖さま。ごきげんよう」
 挨拶の前に舌打ちが聞こえたような気が。
 瞳子ちゃんにも聞こえたらしく、ビックリした表情。
「ごきげんよう。きちんとした形で会うのは初めてだね。文化祭の劇は見たよ」
「ごきげんよう、聖さま」
 うーん。なんだかこの前とは違った雰囲気。祐巳ちゃんとはまた違った意味で抱き心地が良さそうだ。ついふらふらっと魔が差しそうになるけれど、ここは我慢。
「聖さま。何か御用ですか? 今は忙しい時期ですので」
 乃梨子ちゃん相変わらず冷たい。
「たいした用事じゃないよ、これ」
 私は薬局のロゴの入った包みを取り出した。
「なんですか、これ?」
「親切なサンタさんから山百合会に差し入れだよ」
 瞳子ちゃんが無言で袋の中を覗く。
「ジュース……ではありませんね。薬のアンプル…とも違う」
 瞳子ちゃんの横から覗いた乃梨子ちゃんが、信じられないと言いたげな表情で私を見た。
「栄養ドリンク、ですか?」
「そう、見た通りよ」
「なんで、こんなのが…」
「みんなそろそろ必要じゃないかと思って」
「でも…」
「去年は祐巳ちゃんには必要だったわよ?」
「お姉さまが?」
 お。ということは、瞳子ちゃんは祐巳ちゃんのロザリオを受け取った訳か。
 おめでとう、祐巳ちゃん。
「何も聞いてないの?」
 頷く二人。乃梨子ちゃんまで興味ありげな顔になっている。
 私は、去年祐巳ちゃんが倒れてしまった話を披露する。勿論、詳細は省いて大まかな話だけ。
「お姉さまがそんなことを…」
「そう。その時祐巳ちゃんが飲んだのが、この栄養ドリンクなわけよ」
「そんなことがあったんですか」
「そう。だから同じ轍を踏まないように、これを見れば思い出すでしょうから」
「でも、どうして?」
 乃梨子ちゃんが首を傾げた。
「確かに、簡単な仕事だとは思いませんけれど、去年は三人もいたのに、そんなに重労働だったなんて…。やり方が違うんでしょうか?」
「まあ、個人的にも色々あった時期だしね。それに、隠し芸の練習は結構大変だよ」
「隠し芸?」
 瞳子ちゃんが乃梨子ちゃんを見ると、乃梨子ちゃんも首を振って答える。
「そんなのお姉さまに聞いてない」
 やっぱり。そんなことだろうとは思っていたけれど。
「まあ、そうだろうね。これはサプライズなんだもの。三年生が急に一年生芸を見せてってお願いするのよ」
 祥子はバレエ、令はリンゴ割り。と、私は祐巳ちゃんに悪戯を仕掛けたときと同じ事を言う。
「あの…去年は何をしたんでしょうか?」
「それは流石に私の口からは言えないわ。送る会が終わってから、直接聞いてみるのね」
「隠し芸……」
 乃梨子ちゃんは考え込んでいる。うんうん、真面目だね。
「…サプライズにはサプライズですわ」
 瞳子ちゃん? 何か言い始めた?
「乃梨子。紅薔薇さまと黄薔薇さまに言いつけられる前にいきなり始めてしまうのはどうかしら? いきなり始めて逆に向こうを驚かすの」
 さすがは女優。エンターテインメントを演じるつもりか。
「そうね…言いつけられるというのも癪だし、隠し芸の押し売りも面白いかも」
 今年の一年はなかなかの心臓らしい。こういう無茶ッぷりは江利子や由乃ちゃん、黄薔薇の系統だと思っていたのだけれど……。白と紅がこの調子だと一体どうなる事やら。来年の由乃ちゃんの妹が、江利子ではないけれどとっても楽しみだ。
「事前の情報感謝いたします、聖さま」
 ちょこん、と頭を下げて戻っていこうとする瞳子ちゃん。
「あ、差し入れ忘れてる」
 私は行こうとする乃梨子ちゃんの手に袋を無理矢理握らせた。
「誰からの物か聞かれたら、親切なサンタさんと言っておいてね」
「親切な?」
「そう。そこ重要だよ」
「……わかりました」
「あ、それから」
「なんです?」
「隠し芸のこと、私から聞いたって言うのは内緒だよ?」
「すぐにバレると思いますけれど」
「私、そんな風に思われてるわけ?」
「というか、この差し入れが誰から来たか考えれば、すぐに思い当たるんじゃないでしょうか」
「あ」
 それもそうだ。
 でも、ま、いいか。
 別にそれはそれで。
「別にいいかな、それでも」
 私はそれだけ言うと、手を振ってその場を後にした。
 こんなことをしても当然、私が隠し芸を楽しめる訳じゃない。
 ただ、掻き回して楽しんでいるだけ。
 違うかな?
 ああ。
 そうか。
 私は痕を残したいんだ。
 このまま隠し芸が恒例になれば、それは私の仕業だから。
 そうか。私は、リリアンに痕を残したいんだ。
 そう考えると、途端にどうでもいいような気がしてくるから不思議なものだった。
「用事は終わったの?」
 加東さんがいる。私を追ってきたのだろうか。
「やっぱり、高等部絡みだったのね。そんなことだろうとは思っていたけれど」
「まあね」
 未だに、私は大学よりも高等部のほうが好きなようだ。この期に及んで、なんてことだろう。
 内側にいた頃は、リリアンを嫌っていた時期の方が長かったはずなのに。
「ねえ、加東さん」
 でもそれはそれで私らしいのだろう。私は、いつも失ってから気付くのだ、それがどれほど自分に大切な物だったか。
 だから好きなものは好きと、素直に即座に言えるようになりたい。
「美味しい珈琲が飲みたいな」
「あのねぇ…」
 呆れながらも、加東さんは身振りで付いてくるように言う。
 とりあえず今の私は、加東さんの入れた珈琲が好きなのだ。
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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