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乃梨子ちゃんショック!
 
 
 うふふ。
 なんて微笑みながら、ゴロンタを撫でてみる。
 ゴロンタはリリアンの生徒には懐いている。きっと、マリア様もゴロンタを見守っているのだ。
「お前はずっとここにいるの?」
 聞いてみた。
 勿論、答が返るなんて思ってない。というより、答が返ってきたら心底から驚く。
「祐巳さまから聞いたんだけど、お前、聖さまに助けられたんだよね。聖さまのこと、好き?」
 にゃあ
「…私は、よくわからない。志摩子さんのお姉さまなんだから、それなりの人なんだと思う。ううん、凄い人なんだと思う。志摩子さんだけじゃなくて、祐巳さまだって、由乃さまだって、祥子さまだって一目置いているもの」
 乃梨子はゴロンタの背を撫でる。
「でも、私の見る限りそんな人だとは思えないのよ…。抱きついてきたり、耳を弄ってきたり、志摩子さんのお姉さまでなかったらただのヘンタイだよ。それに、聞いた話だと昔は祐巳さまにも手を出していたって……」
 ゴロンタはされるがままに、じっとしていた。気持ちいいのか、ときどき喉の奥で唸りながら。
「本当に、よくわからないわ」
 ふと、乃梨子はゴロンタを撫でる手を止めた。
 なんだろう、この感触。
 どこかで良く似たものを触れたことがあるような。
 今までもゴロンタに触れたことはあったけれど、こんなことは思い出さなかった。今初めて、何かに似ていると思ったのだ。
 もう一度、今度はゆっくりと撫でてみる。
 感触が何かを思い出させる。今までは意識していなかったけれど、意識し始めると確かに何かに似ているような気がするのだ。
 なんだろう?
 乃梨子はしばらく考えた。
 生き物。動物じゃない。
 人。
 感触のいい人。触っていて気持ちいい人。
 
 ……志摩子さん
 
 いや、いや、いや。それはあまりにも。
 確かに感触はいいと思う。ふとした拍子に触れることのある髪はものすごく繊細で、ふわっとしていていい匂いで、つい頬ずりしたくなってしまうけれど。
 だけど。
 志摩子さんじゃない。
 確かに志摩子さんの手触りは気持ちいいけれど。いつまでも触っていたいと思うけれど。
 いや、いや、いや。
 そうじゃない。
 触っていたいなんて。そうじゃなくて、それはそれだけ志摩子さんが魅力的だと言うことで。決して不純な意味なんて。
 ああ。
 自分は一体誰に言い訳してるんだろう?
 恥ずかしさと馬鹿馬鹿しさでその場にしゃがみ込み、乃梨子は「うう」と唸った。
 いつの間にかゴロンタはいなくなってる。
 少しして、乃梨子は立ち上がった。
 顔が赤い。
 それでも、頭の片隅では自分の思い出そうとしている物を考えていた。
 志摩子さんじゃない。それは違う。
 だったら……
 
 ……瞳子
 
 名前を呼んでしがみついてくる瞳子を抱きしめたときの感触は今もしっかり覚えている。
 …可愛かったなぁ…
 いや、いや、いや。
 ちょっと待て。
 どうして瞳子? しかも「可愛かった?」
 なんだろう、これは。自分はいつの間にこんな考え方をするようになってしまったのか。
 それに、瞳子の感触を自分は「触っていて気持ちのいいもの」と言うカテゴリーで覚えているのか。
 何があった二条乃梨子。
 リリアンに染まってしまったのだろうか。
 確かに、志摩子さんとの出会いは衝撃的だった。あれで自分の高校生活が大きく変わったことは認めよう。三年間頑張って勉強して、リリアンを出て、いい大学に行こうと思っていたことがどうでも良くなったことも認めよう。
 だけど、それは志摩子さんが素晴らしい人だから。
 人格も、物腰も、外見も、考え方も。人として立派だと思ったから。
 声も、髪型も、柔らかい肩も、背中も、唇も…
 いやいやいやいやいやいや。ちょっと待て自分。
 違う違う違う。何か例えがおかしい。おかしすぎる。
 それに、志摩子さんはお姉さまだ。お姉さまのことを考えるのはおかしくない。少なくともリリアンではおかしくない。自分は今やリリアンの生徒なのだから、お姉さまのことを考えるのはリリアン生として当然のことなのだ。そうだ、当たり前のことなのだ。
 だけど、どうして瞳子。
 確かに、瞳子は同性の目から見ても可愛い子だとは思う。でも、それとこれとは話は別。
 乃梨子、と呼び捨てられるようになったときはちょっぴり嬉しかったけど。
 最近可南子が妙に接近してきて、警戒が怠れないけれど。
 あのデカブツめ、祐巳さまに捨てられたからって、今度はその妹たる瞳子に目をつけるとは。確かに目の付け所はいいと認める。認めるけれど、瞳子は祐巳さまの妹。一年生の間では私のもの。
 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。なんか思考がおかしい。明らかにおかしな方向にシフトしている。なんなんだろう、これは。
 違う、猫の手触りは心地よかったけれど。
 瞳子の抱き心地もよかったけれど。
 違う。それは違う。
 瞳子は小柄だから抱き心地が良かっただけ。決して変な意味ではない。絶対に違うのだ。
 乃梨子は必死に自分に言い聞かせていた。
 自分にはそんな趣味はない。断じてないのだ。
 
 何かが頭に引っかかっている。
 思い出せないのがどうしてももどかしい。
 薔薇の館へ帰っても、乃梨子の頭の中はそれで一杯だった。
 志摩子さんは違う。瞳子も違う。
 そうすると、残る…
 部屋の中にいるのは、後は祐巳さまと由乃さま。
 猫に近いのは由乃さま。祐巳さまは猫と言うより狸に近い。
 だけど、祐巳さまにも由乃さまにも触ったという記憶はない。そりゃあ、手に触れたことくらいはあるだろうけれど。
 猫の手触りなのだから、毛は重要な要素だ。まさか猫ほど毛深い人間なんていない。だから、触れたのは頭だと思う。
 由乃さまや祐巳さまの頭に触れたことなんて、あるわけがない。だから、それはない。
 待てよ。
 ゴロンタの身体だって人間の頭ほど毛が長いわけではない。あくまでも手触りなのだ。
 乃梨子は自分の制服に触れてみた。
 制服の手触りが近いのかも知れない。そうなると、制服の上からならどこに触っていても構わないことになる。
 そうか、どこに触っても……
 どこに触っても……
「乃梨子ちゃんどうしたの?」
「え?」
 祐巳さまが不思議そうに乃梨子を見ている。
「そうよ、乃梨子ちゃん」
 由乃さままで。
「さっきから私たちの方を難しい顔でじっと見てるけど」
 考え事をしながら凝視してしまったのだろうか。
「それからちょっとイヤらしい顔になったわね」
 いやいやいやいやいや、確かに触るとか考えたけれど。
 志摩子さんや瞳子だけじゃなくて、祐巳さまや由乃さままで?
 駄目だ。本格的に駄目だ。染まっている。染まりきっている。
 ああ、お父さんお母さん、ついでに友梨子(妹)。乃梨子はこんな子になってしまいました。
「イヤらしいと言うよりも……」
「なに? 祐巳さん」
「誰かに似てる眼差しだったような気がする」
「志摩子さん?」
「ううん。志摩子さんとは全然違う」
 祐巳さまは一体何に気付いたというのだろう。
「思い出した、聖さまだ」
「ああ、なるほど。つまりセクハラな眼差しね」
 セクハラな眼差し!?
 それって、どんな眼差しなんですか。と言いかけて、乃梨子ははたと気付いた。
 つまり、今の自分の眼差しなのだ。祐巳さまと由乃さまの手触りを考えていた瞬間の眼差しなのだ。
 しかし、よりによって……。
 つい先刻、「ヘンタイ」と談じた相手と同じ眼差しだなんて……
 
 
 
 
「それで、一体何があったの?」
 志摩子の形相に、祐巳と由乃は首を振っている。
「知らない、知らない」
「本当に知らないの」
 部屋の隅では、乃梨子がシクシクと泣いていた……
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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