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お茶を飲みに
 
 
 呆けている姿が一つ。
 薔薇の館にいるのは瞳子ただ一人だった。
 
 なんとなく、気怠い。何をするでもなく、ただ手持ち無沙汰に座っているだけなのだけど。
 お姉さまが、そしてもちろん由乃さまと志摩子さまも卒業。瞳子が正式に紅薔薇さまとなってから数ヶ月。今の瞳子は紅薔薇さまとしてはなんとか業務をこなしていると自認している。
 妹もすでにいる。
 白薔薇さまの乃梨子、そして黄薔薇さまの菜々ちゃんもいる。
 大きな問題も何もない。
 妹探しに悩んだり、ストーカーに悩んだり、従姉妹との関係を邪推して落ち込んだりしている子もいない。
 全て世は事も無し。
 
 ……物足りない。
 何も起きない日々というのは、これはこれで結構退屈なものだった。
 贅沢なことを言っているというのは理性ではわかっているのだけれど。
 梅雨の晴れ間の空を見上げて、瞳子は小さく溜息をついた。
 駄目だ。これじゃあ駄目だ。
 梅雨の最中にこんなにだれていては、身体中にカビが生えてしまうに違いない。
 自分の発想に怖気をふるって、瞳子は思わず縦ロールに手をやった。当たり前だけど、いつもと同じ手触りに安心する。
 そうだ。身体を動かそう。身体を動かせば、鬱陶しい思いからは逃れられるに違いない。
 館の掃除。
 見渡して、瞳子は首を傾げた。
 今のつぼみたちは万全である。館の掃除だって手を抜いてはいない。結果として、掃除をしなければならないような場所がないのだ。
 洗い物だって、今日は誰も来ていないのだからあるわけがない。
 なければ作ろう。
 瞳子はお茶を煎れようと思い、席を立った。
 自分のカップを準備して、ポットに水を入れたとき、ビスケット扉が開いた。
「ごきげんよう。あら、瞳子さんお一人?」
 可南子さんだった。
「ごきげんよう、可南子さん。ええ、私一人よ? もしかして、乃梨子さんに用事だった?」
「いいえ、別に用事らしい用事はないのだけれど」
 瞳子の手にしたポットに目をやると、つかつかと近寄って中を覗き込む。
「お茶が飲みたいな、と思って」
 瞳子の手からポットを取ると、さらに水を足す。
「呆れた」
「何が?」
 瞳子に背を向けて、可南子さんは食器棚を探している。
「何がって。可南子さんのことに決まっているでしょう?」
「私、何かした?」
「わざわざ、薔薇の館にお茶を無心に来るなんて」
「バスケット部室には、お茶の用意はないの。後輩が差し入れてくれるとしても、冷たいスポーツドリンクくらいね」
「それでいいじゃない。後輩の差し入れを無駄にするのは良くないわ」
「練習や試合の後ならいいけれど、普段からスポーツドリンクなんてゾッとしないわ。今の私は、お茶が飲みたいの」
 食器棚から自分のカップを取り出す可南子さん。
「そもそも、どうして可南子さんのカップが薔薇の館に常備されているのよ」
「スペシャルゲストだもの」
「自分でスペシャルなんて、普通言う?」
「事実だもの」
 確かに、可南子さんは薔薇の館の活動に非常に協力的である。乃梨子と瞳子しかいなかった学年の、優秀な助っ人として活躍していたのだ。
 もしかすると、クラブに忙しい菜々ちゃんよりも薔薇の館に顔を出す頻度は高いかも知れない。
「ゲストが駄目なら、身内同然とでも言いましょうか?」
 瞳子のカップの横に、可南子さんは自分のカップを置いた。
 そして、その隣にはカバンから出してきたクッキーを。
「夕子さんからの新潟土産よ」
 クッキーの表面には「ニッポニアニッポン」と書かれている。
「朱鷺クッキー? 朱鷺って新潟だったかしら」
「佐渡が島は新潟よ?」
「あ、そうか」
「朱鷺の味がするのかしら…」
「さすがに、朱鷺は食べたことありませんわ…」
 二人がクッキーを摘んでいると、お湯が沸いた。
「瞳子さん、お願い」
「何を?」
「お茶を煎れて?」
「自分の分は自分で煎れてください」
「そう言わずに」
「お客様ならお注ぎしますけど、可南子さんは身内同然なのでしょう? ご自分でどうぞ」
「瞳子さんの煎れてくれたお茶が飲みたいな」
 ニッコリと、でも意地悪く笑う可南子さん。
 瞳子は驚いた顔で可南子さんを見つめていた。
「……瞳子さんの煎れてくれたお茶が飲みたいの」
 二度繰り返されると、ようやく瞳子は言葉を返した。
「馬鹿なこと言わないで下さい。……いいです、どうせ自分の分を煎れるんですから、ついでに煎れて差し上げます」
「うん、ありがと」
 もうとか、わがままとか、ブツブツ言いながらも、それでも丁寧にお茶を煎れる瞳子。
「どうぞ」
 受け取り、早速一口。可南子はカップを置くと微笑んだ。
「やっぱり美味しい」
「そう? それなら良かったですけど」
「瞳子さんの煎れてくれるお茶が飲みたいから、薔薇の館にカップを置いてるのよ」
 自分のお茶を飲もうとしていた瞳子の動きがピタリ、と止まる。
「可南子さんの卑怯者」
「…どうして?」
「そういうことを平気で言えるからです」
「素直なだけだけど?」
「そうやって、また飲みに来て私にお茶を煎れさせようとする」
 ああ、と可南子さんは頷きながら笑っていた。
「つまり、こういう風に言っていれば瞳子さんはお茶を煎れてくれるのね?」
 瞳子は一瞬、可南子さんの言葉の意味がわからなかった。
 少しして、頬が真っ赤に染まる。
 つまり自分の言葉は……可南子さんに褒めてもらえるのが嬉しいからお茶を煎れてしまう、と言ったも同然なのだ。
「わ、私が言いたいのはそうじゃなくて!」
「それじゃあ…」
 可南子さんは立ち上がった。
 いきなりなので、瞳子は驚いて言葉を止める。
「お代わりは私が煎れてあげます。瞳子さんのために、心を込めて」
「だから、そういう言い方が…」
「心を込めるより、愛を込めた方がいい?」
「あ……」
 遂に、瞳子は絶句してしまう。
 顔を真っ赤にして俯く瞳子。そのまま顔が上げられないでいると、可南子さんの困った声が聞こえる。
「あのね……そんな風にされると、私も困るんだけど」
 顔を上げると、やはり顔を真っ赤にしていた可南子さん。
「瞳子さん? さっきのは、その、私も冗談が過ぎたみたいだから…そんなの、本気にしないでよ」
「わ、わかってるわよ!」
 つい大声で言ってしまい、そして静かに続ける。
「……でも、約束は約束だから、お代わりは可南子さんが煎れて下さいよ」
「それは……、うん、そうね。約束は約束ね……」
 
 
 
 薔薇の館の一階に何故か乃梨子さまがいた。
「ごきげんよう、白薔薇さま」
「ごきげんよう、黄薔薇さま」
 乃梨子さまは階段を上がろうとする菜々を手で制止する。
「まだ、上がっちゃ駄目だよ」
「どうしてですか?」
「取り込み中だから」
「……また、可南子さまですか」
「……うん。また、可南子」
「あの二人、本当に仲がいいんですね」
 乃梨子は首を傾げる。そして、ビスケット扉を見上げると苦笑した。
「多分、二人とも認めないだろうけどね」
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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