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カールカッツエ・ショコラーデ
 
 
 
 休日のデパートは予想通りに混み合っていた。この辺りはどこのデパートであろうとそんなに違いはない。
 頭の中で店内図を展開し、近道を探す。
 脳裏に浮かべた近道を、瞳子はそそくさと歩き始めた。
 けれど。
 あら、と小さく呟いて、瞳子は特設ワゴンの前で立ち止まる。
 間違えるはずがないほど有名なそのシルエット。
 ……こういう商品もあるんですのね。
 ……でも、今日は別用で来たのですから、買うわけには参りませんの。
 今日は母親のお使いでデパートに来ただけ。自分の用事ではない。
 別に自分の用事を済ませてもどこからも文句が出るわけはないのだけれども。何故か瞳子は自分にそんな言い訳をしてしまう。
 用事を済ませてもう一度同じ場所を通る。
 やっぱり、目が商品に向いてしまう。
 どこにでもあるようなチョコレート。ただちょっと形が違うだけ。
 世界で一番有名なネコ。世界で一番有名なネズミと一二を争う人気のキャラクターだ。瞳子はこのキャラクターを見るたびに一年ほど前の出来事を思い出す。
 可南子さんとの初デート。もとい、可南子さんと二人でお姉さま達を探した日。その場所が、このキャラクターの遊園地だったのだ。
 たまたま、お姉さまと祥子さまが遊びに行った遊園地が、そのキャラクターをメインとした遊園地だっただけのこと。それに、キャラクターに出会ってはしゃいだのは瞳子ではない。
 ……可南子さん、大はしゃぎでしたわ……
 思い出すと、ふと笑みを浮かべてしまいそうになる。
 
 
「あ、あれ、カールカッツェ」
 嬉しそうな可南子さん。
 それはドイツ語で「カール・猫」。あまりにもそのままじゃないですか。
 まあ、彼のライバルだって「ミッキ・鼠」とか「光る擬音・鼠の鳴き声」とか「子猫ちゃん」「(オランダ語で)愛らしい兎」なんてそのままなんですけれど。
 あ、抱きついた。うーん。もしかして可南子さん、カールの着ぐるみより大きいんじゃないかしら? カールが脅えているような気がしますわ。
 ダメですよ。カールが逃げちゃ駄目ですわ。
 えいっ。
 ほら、可南子さん、私がこっち側から抑えている隙に思うさま抱きついて。
 ダメですわ、カール。逃がしませんことよ!
 ギュッと。ギューーーーッと。
 あら、カールが動かなくなりましたわ。
 可南子さん何をやっているんですか、逃げますよ!
 名残惜しそうにしないで。大丈夫、カールは不死身ですわ!
 え?
「マジ勘弁」って聞こえた?
 それは気のせいですわ。カールはドイツの御方ですわ。日本語を喋るなんて聞き違いに決まってますわ!
 そうそう。きっとそれは「Musik un bein」って言ったんですわ!
 え? 「音楽・もの・骨」ってどういう意味かって? そこまでは存じ上げませんわ!
 いいから早く逃げますわよ!
 
 
 全部思い出したらちょっと鬱になった。
 いやいや。
 カールを見つけたときの可南子さんは本当に嬉しそうだったのだ。その後のことなんて些少な出来事に過ぎない。
 あれからもう一年経つというのに、今でもあの表情を思い出すだけで、何となく楽しくなってくる。
「いかがですか?」
 店員の声に瞳子は我に返った。
 声を掛けられてしまうほど、自分はそこに立っていたのだろうか。
 店員はチョコを示して瞳子の反応を待っている。
 カールの顔の形の大判チョコレート。ファンにとっては定番なのかも知れないけれど、瞳子が見たのは今日が初めてだ。
「バレンタインフェア限定販売の特別品ですよ」
 店員は執拗に勧めている。それほど瞳子が悩んでいるように見えたのだろう。
 なんとなく、買わなくてはいけないような気分にもなってくる。さすがは店員だ。
 考えてみれば、どちらにしろチョコレートの準備はいるのだ。
 ……別に、可南子さんのために買うわけでもないし…
 ……そうですわ。これは優お兄さまに…
「それじゃあ、一つ…」
 と財布を出しかけると、背後、と言うより頭上から声が。
「奇遇ね、瞳子さん。こんなところで」
「え?」
「ごきげんよう」
 可南子さんがそう言いながら財布を取り出している。
「すいません、このカールカッツェ・ショコラーデ」
 ショコラーデはドイツ語で「チョコレート」。商品名までドイツ語なのだ。因みに歴とした日本製である。
「三つ下さい」
「はい。包装はどのようにいたしましょうか?」
「二つはバレンタイン贈答用で。一つはそのままでいいです」
「かしこまりました」
 先に支払いを済ませ、ようやく可南子さんは瞳子に向き直る。
「瞳子さんも、カールカッツェ?」
「い、いえ、私は…」
「お客様はどうなされますか?」
 別の店員がにこやかに話しかける。
「え?」
 さっきから周りの変化についていけていない瞳子に、可南子さんが素早く囁いた。
「包装の事よ。ラッピングをどうするか」
「え、えーっと、私も同じで」
「バレンタイン贈答用ね? それでよろしくお願いします」
「かしこまりました」
 一度に四つも売れた店員が、嬉しそうに包装を始める。それを見て瞳子はようやく我に返った。
「可南子さん、私、別に買う気なんて…」
「ずっとここに突っ立ってたじゃないの。買う気がないのなら営業妨害よ」
「ずっと、て…」
「瞳子さんが買い終わるのを待っていたんだけど、いつまで経っても動かないから横入りさせて貰ったわ」
 つまり、可南子さんは後ろからずっと見ていたわけで。
「ええっ」
「私だったからいいけれど、他のお客さんだったら大迷惑よ? 店先であまりぼおっとするものではないわ」
 違います。と言いたいけれど、可南子さんの言葉に間違いはない。
「……気を付けるわ」
「何かあったの? こんなところで物思いなんて」
「考えていただけです。買うか買うまいか」
「だったら、私が後押しした訳ね。お役に立てて嬉しいわ」
「余計なお世話とも言うけど」
「そう? だったらごめんなさいね」
 そう言いながら、可南子さんは三つの商品が入った紙袋を受け取った。同時に、瞳子も紙袋を一つ受け取る。こちらは一つなので小さなものだ。
「可南子さんは、今日はこれを買いに?」
「ええ。そうよ。それじゃあ明日また、学校でね」
 立ち去ろうとした可南子さんを瞳子は慌てて呼び止めた。
「可南子さん?」
「なに?」
 と、聞き返されても困る。自分でもわからないうちに咄嗟に呼び止めてしまったのだ。用事など何もない。
 ……何も、ありませんわ…
 自分で自分に言い聞かせつつも、何故か今受け取ったばかりの紙袋の中身書きになる。
 どうして、自分はこれを買おうと思ったのだろう。
 ……優お兄さまへのバレンタインチョコですわ…
 ……嘘…
 自分の中で誰かがクスリと笑う。
「せっかくですから、お茶でもいかがです? それとも、急ぎの用でも?」
「別にないわよ。それじゃあ、お言葉に甘えて」
「奢りませんよ」
「うん」
 可南子さんは笑う。
「期待してないわよ」
 
 
 デパートから出て駅ビルの喫茶店へ。こちらはデパートと違ってそれほど混んでいない。
 瞳子は、以前乃梨子さんから聞いたことのある店を選んだ。なんでも、ここのケーキセットがお奨めらしい。
 少し悩んで、結局二人ともケーキセットを頼むことにした。ケーキは別々のものを頼んで半分個することに。
「それにしても、そのチョコレート、三つも買うなんて。結構高いのに」
「そんなに不思議?」
「気になっただけ。ただの好奇心よ。一つはお姉さまに差し上げるつもりなの?」
「…考えてなかったわ」
「だったら余計に不思議。どうして三つも?」
「リリアンの誰かに渡すことなんて、全然考えてなかったわ」
 あ、そう。と小さく呟く瞳子。なんだか腹が立つ。自分は、可南子さんのことを思い出してチョコレートを……。
 あれ? 違う。
 違う。別に可南子さんのために買ったわけではない。それは酷い勘違いだ。なんでこんな勘違いをしてしまうんだろう。
「夕子さんに一つと、お母さんに一つよ」
「でも、買ったのは三つでしょう? あ。お父さまに?」
「ううん。お父さんは甘い物が好きじゃないから、別枠よ。だから、バレンタイン用に買ったのは二つよ。一つはバレンタイン用じゃないもの」
「あ。もしかして、自分用?」
 可南子さんは照れくさそうに笑った。
「そうよ。自分用のカールカッツェ。こんな時でもないとこんな商品は店頭に並ばないもの。おかしいかしら?」
「人それぞれだし、別にいいんじゃないかしら」
 そうよね、と笑いながら、可南子さんはケーキを小器用にフォークで切り分ける。
「はい、これ」
 一口大に切ったチョコレートシフォンケーキを瞳子の口元へ持っていく。
 え? と言う間もなくパクリ。
「一足早いバレンタイン……の手付けかな?」
「手付け?」
「本番は勿論、ちゃんとしたものをおくるから」
「でも、バレンタイン用には二つだけって」
「買ったのは二つだけ。自分で作るのは話が別よ」
 言いながら、自分の分をパクリ。
「楽しみに待っててね」
 そして話題は少し唐突に変わる。
 山百合会の一年たち、有馬菜々と二条友梨子の話になる。
「瞳子さんも早く妹を作って祐巳さまを安心させてあげればいいのに。紅薔薇さんちは毎年妹作りが遅いって評判よ。かわら版にも書かれたじゃない」
「日出実さんがあんなこと書くから。お姉さままで一緒になって……」
「そういうことも覚悟の上で三薔薇の一人の妹になったわけでしょう? 生粋のリリアンッ子の瞳子さんが、予想してなかったじゃあ済まないんじゃない?」
「可南子さんまで……乃梨子と同じ事言うのね…」
「乃梨子さんは早かったもの。実の妹がいると強いわよね。志摩子さまだって反対のしようもないし。もっとも、乃梨子さんのやることで志摩子さまが反対するようなことなんてないでしょうけれど」
「今年は由乃さままで早かったし……。あれは青田刈りじゃないのかしら…」
「いいんじゃない? どこかの誰かさんは中等部の時から薔薇さまになるって決めていて、夢を叶えたって聞くわよ?」
「……ほんのちょっと予想とは違ってしまいましたけど」
 そのまま話題は、当たり障りのない噂話へと変わっていく。
「それじゃあ、そろそろ帰らないと」
 壁の時計を見た可南子さんが財布を取り出す。瞳子も腕時計を見て驚いた。結構な時間が経ってしまっている。
「そうね、もうこんな時間」
 お店を出ると、季節柄かもう薄暗くなっている。冬の間の昼は短いのだ。
 ごきげんよう、と帰ろうとする可南子さんを、瞳子は再び呼び止めた。
 今度はさっきとは違う。呼び止めた理由ももうきちんと決めている。
「可南子さん、カールカッツェは二つあると邪魔?」
「いいえ。邪魔ではないけれど…」
 瞳子は買ったばかりのカールカッツェを差し出した。
「瞳子さん? これって」
「一足早い、バレンタインの手付けです」
「手付けって…それにしては多すぎない?」
「これ以上小さいカールなんて、無かったじゃない」
「そう…だったかしら?」
「とにかく、手付けなんだから、受け取ってください」
 強引に可南子さんの提げている紙袋の中に入れてしまう。
「それでは、明日学校で。ごきげんよう、可南子さん」
 早口で言うと、表情を見られまいとでもするように瞳子は振り向いて、早足で歩き始める。
 悔しいけれど、真っ赤になっている今の顔は見られたくない。
 どうして、可南子さん相手にこんなに真っ赤になってしまうのか。
 それに、チョコレートなんて。
 だけど……
 随分と気合を入れて作ってしまうのだろうなあ、と思っている自分に瞳子は気付いていた。そして、可南子さんにもらえるというチョコレートに期待している自分にも。
 
 
 
 
 
 
あとがき
 
 
 
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